今回、タイ国を大きくゆるがした事件で、大打撃を受けたのは個人店主たち。日本人を顧客とする店主も同じく大打撃を受けた。本紙では広告を掲載している店主たちを盛り上げて、元気を出してもらえるよう、ストーリー仕立ての店主物語りを展開する。今回はその第10回目。

店主物語り⑩

日本で養ったサービスの心を「スパ」に

 タイ人の友だちの紹介で、日本人と知り合い、のち結婚。チャリン・ムラタという名前になって、茨城の水戸市に移り住んだ。だんなは建築の設計などの仕事をし、その両親とも同居。チャリンは奥さんとして、炊事、洗濯、買い物などを習い、日々、こなすようになった。


  日々の生活の中でことばも少しずつ覚え、水戸産の納豆も食べられるようになった。日本料理もお母さんから教わり、休日に行く温泉旅行なども楽しく、年に2回は実家のバンコクに戻る生活で、不自由なく暮らしていた。


  うまくいっていた夫婦生活だが、何年たっても子どもができない。孫を期待しているだんなの両親も、いまか、いまかと待っていたが一向にその日は訪れず、日本での生活も10年を越えていた。


  やはり、どうしても子どもが欲しい両親やだんなと話し合いを持ち、「それなら別れて、新しい奥さんをもらうほうがよい」と夫婦生活14年目に決心し、1人でバンコクに戻ってきた。


  だんなの稼ぎという後ろ盾がある状態から、一人で生きていかなくてはならない状態になり、幸い、14年間の日本で養った日本語で、日本人の通訳の仕事などを得、自分で稼ぐ生活が始まった。


  そののち、タイ人向けにスパを経営するハイソーのタイ人がトンローに店を出し、日本人女性向けにもアピールしたいと、日本語ができるタイ人を募集していたところに連絡をとり、そこで働くようになる。


  もともと、人にサービスする仕事が好きだったこともあり、エステ、スパのノウハウや、サービスの仕方などを習得し、自分ならこうやる、とか、もっとこうやった方がよい、などのアイデアもでてきて、それなら自分でお店をやった方がよい、とタイ人との共同経営でプルンチットに日本人向けのエステを開く。


  日本で14年過ごし、日本人の感覚やサービスをからだでわかっているのは強い。日本人が求めるものもわかっている。しかし、タイ人との共同経営のため、なかなか意見も折り合わず、それなら自分1人で立ち上げた方がよい、と構想を練る。子どもはいないから、資産を残す必要もない。親といっしょに住める土地、建物を残して、親の持つ土地2ライを売ってスパ建設の資金にあてた。


  トンローの55プラザ内に「ビヨンド・スパ&ビューティー」を2年前に完成。さらにその向かいで、以前の寿楽という日本料理店があった場所にも広げて「ビヨンド・スパ」を完成。合わせて500万バーツ近くを投入した。


  しかし、今年の4~5月の赤服では大打撃を受け、その間、在タイの日本人の奥さんがまったく来なくなった。知り合いの日本人女性も日本へ帰国する人が多く、8月、9月となっても、少し上向くだけで、なかなか、4~5月の大打撃をカバーすることができない。


  また、こういったスパ産業は、サービスを提供するエステティシャンのクオリティーに左右される。チャリンも募集でやって来たタイ人はまず3ヵ月の間でふるいにかけ、通れば採用。日本人へのサービスを徹底的に覚えこませる。


  しかし、このエステティシャンの確保が悩みの種だ。今では至るところにスパやエステができ、1人前になったタイ人が給料のよいところに移るのはあたりまえ。少し前にも、同店のクオリティーの高い3人が、韓国での募集に応募し、そのまま韓国に行ってしまった。同店では12000バーツの給料で、チップを合わせれば15000バーツほどにはなるが、韓国では4~5万バーツはもらえるため、エステティシャンの流出を防ぐことができない。


  一方、使っている化粧品や機材などは、いち早く新しいものを取り入れるようにし、日本人が満足できるメニューを作り出すよう苦心している。
  4、5年前は高額のメニューをオーダーしていた日本人の奥さんだが、今ではプロモーションのメニューで、あまりお金をかけずにサービスを受けたいという人が多い。駐在員の若返りとともに奥さんも若い人が多くなり、エステやスパにそれほどお金をかけない、という傾向も出てきた。
  一方で、タイの政治不安もまだ残っており、駐在員の単身での来タイなどで、女性を伴わないなどもスパ、エステ店には打撃となっている。このままではなかなか見通しを立てられない、というのがチャリンの正直な気持ちだが、状況がよくなることを信じて、日本人向けの地道なサービスを心がけていくつもりだ。「ただ来年も今年のような赤服の問題などが出てくれば…」と事業経営については、スパやエステ以外にも考えをめぐらしている状況だ。(敬称略)

 2010/12