今回、タイ国を大きくゆるがした事件で、大打撃を受けたのは個人店主たち。日本人を顧客とする店主も同じく大打撃を受けた。本紙では広告を掲載している店主たちを盛り上げて、元気を出してもらえるよう、ストーリー仕立ての店主物語りを展開する。今回はその第4回目。

店主物語り④

10年間でバンコクで12店舗

純粋に100%、中国人の味を実現していることが大きい

 宋(ソン)淑萍。中国山東省からタイにやってきたのは1996年、34歳の時だ。夫の友だちが、中国から商品を持って来て、タイで販売していた事業を手伝う。しかし、ちょうど、通貨危機のあおりで、次の年には事業がうまくいかなくなる。夫は何とか、中国系の証券会社に勤めることができた。ソンは中国で経理の仕事の経験があったが、ことばの問題もあり、タイではその経験を生かせない。家で主婦業をする毎日だった。
 
 夫は同時に貿易業も始め、徐々に貯金がたまり、「小さな山東の家庭料理の店を開こう」と、2人で場所を探した。そして見つけたのは、今のラマ4世のロータスの裏。民宿・日出のとなりの一区画の商業スペースだった。そこを安くで借り、内装もほどほどに「老山東」を開いた。2000年の時だ。「うまくいかなければ、中国に戻ってもいいよね」と、ソンは夫に話していた。


  当初は、タイで発行されていた中国の新聞に広告を載せ、中国人が客としてやって来た。何とか家賃と人件費を払える状態だったが、なかなか客は増えなかった。10カ月ほどたって、気功の先生が紹介した日本人向けの「タイ自由ランド」に広告を載せる。それを見た日本人が徐々に定着するようになった。


  「本場の山東の餃子が、とっても安いよ!」などと、昼間は日本人主婦が、夜は日本人ビジネスマンが食べに来るようになり、1~3階までとった客席では入り切らず、外に席をつくるまで繁盛した。
  日本人向けの店に確信を持ったソンはその後、シーロム店、アソーク店へと店をつくり、2006年には手狭になった本店を、近くのソイ26のリッチモンドビル内に移転した。何とその敷地は1千万バーツ以上で購入したというからスゴイ。


  現在までバンコクで12店にまで増えている「老山東」。店名も読みやすくて聞きとりやすい「北京レストラン」とうたっているが、昔からの客は「老山東」がなじみやすい。ここまで店を広げているソンだが、意外とそれぞれの店を開くコストについてはあまりお金をかけていない。例えば、トンローのソイ13の向かいに開いた日本人向けの店は、開店までに使ったお金は100万バーツもかからない。家賃と敷金だけでは20万以下。まわりの日本料理店が200万、300万バーツと、あたりまえに内装をしているのとは雲泥の差がある。従業員にしても、ウェイトレスはタイ語を話せる中国人で、タイ北部から連れてくるため、非常に安くで雇える。ただ、12店もある店の味の管理は重要で、山東で10年の経験があるコックを連れて来て、各店に配置している。


  ある程度はタイ語も話せるソンだが、10年で12店舗まで広げ、ここまで成功した要因は何か。タイではホテルなどに中国料理店が入っていることも多いが、その多くは広東料理であったり、香港系の店であったりする。純粋な北京のお店はなかなか見つからない。タイ生まれの中華系タイ人では入り込めない「純粋に100%、中国人の味」を実現していることが大きい。そのためコックも山東から。山東などからの材料も全体の30%以上にのぼる。人気が出た日本人向けに「ひと味変えている」というが、「化学調味料は一切使っていない」と中国人のプライドを示す。

  ソンは12店舗全体の管理をしていて、夫の姿は出てこないが、「経理面での管理はしてもらっている」と二人三脚でここまで来たことに感謝する。夫は今でも中国系の証券会社で働き、貿易業もこなしており、その収入もかなりものになるようだ。


  主婦から転身して12店舗をしきる中国料理店のおかみであるソンだが、あくなき、新メニューの開発も、この手の競合店にはない、取り組みの1つだ。中国の竹の子の炒めもの。干した竹の子かな、と思うが、そうではないよう。中国から持ってきたもので、日本人にも初めての食感だろうか。また、むきえびと豆腐のトマトスープは、何かイタリアンのよう。ソンが考えてコックに作らせるケースや、コックのアイデアで開発するケースがあり、今では200種類にものぼる。そういった積み重ねがここまで店を広げた要因だろう。


  「セントラルなどからの引き合いも来ている」と、次なる目標は、ショッピングセンターなどへの出店。いわゆる「8番ラーメン」などの形態だ。そうなると、タイ人向けの味、ということになるが、基本的には「老山東」の味は変わらないが、徐々に口コミで増えてきたタイ人客の好みの味はすでに熟知している。「ひと味変える」その手腕が生きるはずだ。
  のちは株式上場なども視野に入れているというソン。2人の子どものうち1人は外国に留学中で、10年間で築き上げたタイでの地位はますます確固たるものになっていく。(敬称略)

 2010/12